大谷大学 文化環境ゼミ 3回生 2018年度後期
京都市の石橋
私たち3回生は10月23日と27日の2日間に分けて、前期の続きで京都の石橋を調査しました。1日目は、万世橋と加茂大橋に行きました。2日目は、巽橋と古川町橋、三条大橋、蹴上インクライン橋梁、南禅寺水路閣に行ってきました。
○ 万世橋 北白川校前バス停から徒歩5分
万世橋は白川にかかる石橋です。北白川天神宮の入り口にあります。橋の長さ7m、幅員3m。橋に使われていた岩石は花崗岩で、カリ長石や斜長石、黒雲母が含まれていました。
そして階段の端には、幅3~4cmの石英脈と大きな暗色包有物も見られました。
万世橋は今まで見てきたアーチ橋とは違い、アーチ部分が楕円形になっていました。
○ 加茂大橋 出町柳駅前バス停から徒歩2分
加茂大橋は鴨川にかかる鋼桁橋です。加茂大橋は、交通量も多く大きな橋で長さや幅員を測ることはできませんでした。調べたところによると、橋の長さ141.4m、幅員22m。(参考:京都風光 加茂大橋)
加茂大橋は、欄干部分が古い花崗岩と修復のための新しい花崗岩が使われていました。古い花崗岩は暗色包有物がまったく見られませんでした。そして目が粗く、触るとつるつるしていました。一方で、新しい花崗岩は暗色包有物が含まれており、触るとザラザラと削れるようでした。この事から、古い花崗岩と新しい花崗岩は、産地が違う可能性が出てきました。
基礎はコンクリートと鋼でできており、鋼は半アーチになっていました。欄干部分のみ、石で造られていました。
〇 大和橋 地下鉄四条駅から徒歩28分
大和橋は白川にかかる石橋です。今回調査している中で見つけた橋です。なので大和橋も調査しました。橋の長さ6.5m、幅員7m。
この橋は、明治45年にかけ替えられました。橋の花崗岩は、江戸時代に造られたと思われる部分と明治時代に造られたと思われる部分がありました。石柱と石桁、そして上流側の欄干は江戸時代と思われるものでした。江戸時代に造られたと思われる部分は、極粗粒花崗岩でした。下流側欄干と上流側欄干柱は明治時代に造られたと思われるもので、江戸時代の方より少し目の細かい粗粒花崗岩でした。石畳は平成15年3月に修復されており、中粒花崗岩でした。
〇 巽橋 地下鉄四条駅から徒歩30分
巽橋は、白川にかかる石橋です。橋の長さ7.2m、幅員2.7m。巽橋は、欄干が木でできています。ちなみに、巽橋は京都ならではの木の古民家が立ち並ぶ中に橋があり、京都の風情が楽しめます。私たちが調査をおこなった日も、多くの観光客が見られました。その為、欄干に座って写真を撮る観光客が多く、欄干の木の部分が痛んでしまい問題になっています。
巽橋は、コンクリートの上に石畳が敷き詰められるようになっています。石畳が白色と赤褐色を帯びる粗粒花崗岩と淡青色の中粒花崗岩でできていました。中粒花崗岩には、暗色包有物が見られました。石畳の粗粒花崗岩と中粒花崗岩が、モザイク状デザインのように3つ以上続けて並ばないように敷き詰められていました。
〇 古川町橋 大和橋から徒歩10分
古川町橋は、白川にかかる石橋です。別名、行者橋や一本橋とも呼ばれています。橋の長さ11m、幅員66cm。この橋はいつ架けられた橋か明らかになっていません。しかし、江戸時代の粟田祭で使われていたと言われています。なので、江戸時代には存在していた事になります。
橋は一部コンクリートで補修されていましたが、基本的には極粗粒花崗岩でできていました。暗色包有物がまったく見られませんでした。
三条大橋は、鴨川にかかる鋼単純H型橋です。加茂大橋と同様に橋が大きく、交通量も多いため実際に橋の長さや、幅員を測ることはできませんでした。しかし橋の近くに看板があり、そこに橋の長さと幅員が書かれていました。橋の長さ74m、幅員15.5m。
三条大橋が架けられた年代については明らかになっていません。室町時代前期には、すでに簡素な構造をもつ橋として鴨川に架けられていたと推測されています。本格的な橋となったのは1590(天正18)年。欄干部分は木でできていました。橋を支える柱は、南側は一部コンクリートの柱の基礎の上に直径約60cmの石の柱があり、北側の柱はすべてコンクリートの柱で支えられていました。
〇 蹴上インクライン橋梁 蹴上バス停から徒歩5分
橋の長さ9.1m、幅員18.4m。正式名所は蹴上隧道。愛称は、ねじりまんぽと呼ばれています。
このねじりまんぽに使われている花崗岩は典型的な花崗岩ではなく、カリ長石が大きい斑状組織でした。そしてそろばん玉の形をした高温型石英が見られました。
南禅寺水路閣は、琵琶湖の湖水を京都の街へと運ぶための水路橋として作られ、京都の産業発展に大きな役割を果たしました。
レンガの柱の下に、花崗岩の土台がありました。土台の花崗岩には、粗粒花崗岩が使われており、大きな暗色包有物も見られました。
今回私たち3回生は、前期と合わせて13個の石橋を訪れて調査をしました。前期に石橋を調べた結果、すべての石橋の素材が花崗岩であることがわかりました。そのことを踏まえて後期には、どこの花崗岩かということに焦点をあてて調べました。
石材調査として、狸谷山不動院近くの瓜生山へ行きました。瓜生山には花崗岩の砕けた真砂がところどころに見られました。山頂に近づくにつれて真砂化が進んでいました。瓜生山は花崗岩地帯で上質な湧き水が多く出ています。
清沢口の石切り場は、風化がとても激しく、少し握ると砕けてしまうほどでした。
暗色放有物を含まない極粗粒花崗岩が見られました。これは、三条大橋の石柱部分と古川町橋などに使用されている花崗岩の特徴と類似していました。よって、瓜生山の花崗岩が使用されている可能性が高いと結論付けました。
私たちの大学がある京都には、複数の文化的庭園があり、たくさんの石材が使用されています。そこから身近にある石についてというテーマで考えた結果、石橋に決めました。石橋が多く存在する九州地方は、石材に凝灰岩を使用しているのに対して、京都にある13箇所の石橋では、ほぼ花崗岩が使用されていました。石材は花崗岩でしたが、特徴は全部同じではなく、粒度が違ったり、色調が違ったりすることが分かりました 。それまでは石はすべて同じものに見えていましたが、1年間の調査をしたことによって花崗岩の特徴を知ることができました。
大谷大学 文化環境ゼミ 3回生 2018年度後期
京都市の石橋
私たち3回生は10月23日と27日の2日間に分けて、前期の続きで京都の石橋を調査しました。1日目は、万世橋と加茂大橋に行きました。2日目は、巽橋と古川町橋、三条大橋、蹴上インクライン橋梁、南禅寺水路閣に行ってきました。
○ 万世橋 北白川校前バス停から徒歩5分
万世橋は白川にかかる石橋です。北白川天神宮の入り口にあります。橋の長さ7m、幅員3m。橋に使われていた岩石は花崗岩で、カリ長石や斜長石、黒雲母が含まれていました。
そして階段の端には、幅3~4cmの石英脈と大きな暗色包有物も見られました。
万世橋は今まで見てきたアーチ橋とは違い、アーチ部分が楕円形になっていました。
○ 加茂大橋 出町柳駅前バス停から徒歩2分
加茂大橋は鴨川にかかる鋼桁橋です。加茂大橋は、交通量も多く大きな橋で長さや幅員を測ることはできませんでした。調べたところによると、橋の長さ141.4m、幅員22m。(参考:京都風光 加茂大橋)
加茂大橋は、欄干部分が古い花崗岩と修復のための新しい花崗岩が使われていました。古い花崗岩は暗色包有物がまったく見られませんでした。そして目が粗く、触るとつるつるしていました。一方で、新しい花崗岩は暗色包有物が含まれており、触るとザラザラと削れるようでした。この事から、古い花崗岩と新しい花崗岩は、産地が違う可能性が出てきました。
基礎はコンクリートと鋼でできており、鋼は半アーチになっていました。欄干部分のみ、石で造られていました。
〇 大和橋 地下鉄四条駅から徒歩28分
大和橋は白川にかかる石橋です。今回調査している中で見つけた橋です。なので大和橋も調査しました。橋の長さ6.5m、幅員7m。
この橋は、明治45年にかけ替えられました。橋の花崗岩は、江戸時代に造られたと思われる部分と明治時代に造られたと思われる部分がありました。石柱と石桁、そして上流側の欄干は江戸時代と思われるものでした。江戸時代に造られたと思われる部分は、極粗粒花崗岩でした。下流側欄干と上流側欄干柱は明治時代に造られたと思われるもので、江戸時代の方より少し目の細かい粗粒花崗岩でした。石畳は平成15年3月に修復されており、中粒花崗岩でした。
〇 巽橋 地下鉄四条駅から徒歩30分
巽橋は、白川にかかる石橋です。橋の長さ7.2m、幅員2.7m。巽橋は、欄干が木でできています。ちなみに、巽橋は京都ならではの木の古民家が立ち並ぶ中に橋があり、京都の風情が楽しめます。私たちが調査をおこなった日も、多くの観光客が見られました。その為、欄干に座って写真を撮る観光客が多く、欄干の木の部分が痛んでしまい問題になっています。
巽橋は、コンクリートの上に石畳が敷き詰められるようになっています。石畳が白色と赤褐色を帯びる粗粒花崗岩と淡青色の中粒花崗岩でできていました。中粒花崗岩には、暗色包有物が見られました。石畳の粗粒花崗岩と中粒花崗岩が、モザイク状デザインのように3つ以上続けて並ばないように敷き詰められていました。
〇 古川町橋 大和橋から徒歩10分
古川町橋は、白川にかかる石橋です。別名、行者橋や一本橋とも呼ばれています。橋の長さ11m、幅員66cm。この橋はいつ架けられた橋か明らかになっていません。しかし、江戸時代の粟田祭で使われていたと言われています。なので、江戸時代には存在していた事になります。
橋は一部コンクリートで補修されていましたが、基本的には極粗粒花崗岩でできていました。暗色包有物がまったく見られませんでした。
三条大橋は、鴨川にかかる鋼単純H型橋です。加茂大橋と同様に橋が大きく、交通量も多いため実際に橋の長さや、幅員を測ることはできませんでした。しかし橋の近くに看板があり、そこに橋の長さと幅員が書かれていました。橋の長さ74m、幅員15.5m。
三条大橋が架けられた年代については明らかになっていません。室町時代前期には、すでに簡素な構造をもつ橋として鴨川に架けられていたと推測されています。本格的な橋となったのは1590(天正18)年。欄干部分は木でできていました。橋を支える柱は、南側は一部コンクリートの柱の基礎の上に直径約60cmの石の柱があり、北側の柱はすべてコンクリートの柱で支えられていました。
〇 蹴上インクライン橋梁 蹴上バス停から徒歩5分
橋の長さ9.1m、幅員18.4m。正式名所は蹴上隧道。愛称は、ねじりまんぽと呼ばれています。
このねじりまんぽに使われている花崗岩は典型的な花崗岩ではなく、カリ長石が大きい斑状組織でした。そしてそろばん玉の形をした高温型石英が見られました。
南禅寺水路閣は、琵琶湖の湖水を京都の街へと運ぶための水路橋として作られ、京都の産業発展に大きな役割を果たしました。
レンガの柱の下に、花崗岩の土台がありました。土台の花崗岩には、粗粒花崗岩が使われており、大きな暗色包有物も見られました。
今回私たち3回生は、前期と合わせて13個の石橋を訪れて調査をしました。前期に石橋を調べた結果、すべての石橋の素材が花崗岩であることがわかりました。そのことを踏まえて後期には、どこの花崗岩かということに焦点をあてて調べました。
石材調査として、狸谷山不動院近くの瓜生山へ行きました。瓜生山には花崗岩の砕けた真砂がところどころに見られました。山頂に近づくにつれて真砂化が進んでいました。瓜生山は花崗岩地帯で上質な湧き水が多く出ています。
清沢口の石切り場は、風化がとても激しく、少し握ると砕けてしまうほどでした。
暗色放有物を含まない極粗粒花崗岩が見られました。これは、三条大橋の石柱部分と古川町橋などに使用されている花崗岩の特徴と類似していました。よって、瓜生山の花崗岩が使用されている可能性が高いと結論付けました。
私たちの大学がある京都には、複数の文化的庭園があり、たくさんの石材が使用されています。そこから身近にある石についてというテーマで考えた結果、石橋に決めました。石橋が多く存在する九州地方は、石材に凝灰岩を使用しているのに対して、京都にある13箇所の石橋では、ほぼ花崗岩が使用されていました。石材は花崗岩でしたが、特徴は全部同じではなく、粒度が違ったり、色調が違ったりすることが分かりました 。それまでは石はすべて同じものに見えていましたが、1年間の調査をしたことによって花崗岩の特徴を知ることができました。
大谷大学 文化環境ゼミ 2回生 2018年度前期
福井県立恐竜博物館に行ってみた
平成30年5月27日に福井県勝山市の福井県立恐竜博物館に訪れ、化石発掘体験をしてきました。今回の調査目的は野外発掘調査を通して恐竜を身近に感じることです。
今回は福井駅の近くからでている越前鉄道をつかい、福井県立恐竜博物館のもより駅である勝山駅までいきました。
福井県立恐竜博物館は、恐竜やそのほかの化石に関する資料などを展示した国内最大の博物館です。福井県で発掘され、福井の地名から名前がついたフクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン、コシサウルス、フクイベナートルなど福井特有の恐竜の化石などが展示されてます。
私たちは午前10時頃に現地に到着しました。
建物は展示を見やすくするために柱をなくしたのと山が近く雪がよく降り積もるので自然に雪が落ちるように卵形に設計されました。柱がないため、室内は広く感じられました。
私たちは午後に発掘体験を予定していたので先に昼食をとることにしました。
化石発掘オムライスの中からは…何か見つかるかもしれないですね。
もちろん福井県のご当地グルメ、ソースカツ丼やそばも食べられます。
お昼ご飯を食べ終え、発掘調査はバスに乗り博物館近くの手取層群北谷層にある発掘現場に行きました。
行きの道には恐竜の標識もありましたよ。
発掘調査の結果、植物の葉っぱの化石が見つかりました。
だいたい1㎝ないぐらいの大きさです。
手取層群北谷層は1億2000万年前の地層で、そこから5種類の恐竜の化石やその他水辺の化石なども見つかっています。その近くあった展示場には採掘された足跡の化石や発掘のために使われた道具など、本館では見られないものが展示されていたので、発掘体験を実際にしてもらうのも楽しいと思います。
発掘調査を終えて、博物館まで戻ってきました。
次は博物館を調査します。
いろいろな恐竜の標本が展示されていたので、福井の恐竜たち5体の標本を紹介します。
まず始めに紹介するのは、植物食恐竜のコシサウルス〈コシサウルス・カツヤマ〉です。鳥脚亜目のコシサウルスは、発見された化石は幼体で、あとで出てくるフクイサウルスとはことなるイグアノドン類として命名されたそうです。
次に紹介するのは、先ほど少し名前がでてきたフクイサウルス<フクイサウルス・テトリエンシス>です。フクイサウルスは鳥脚亜目で全長5メートルのイグアノドン類として、日本で初めて全身骨格が復元された植物食恐竜です。
フクイティタン<フクイティタン・ニッポネンシス>。
全長が10メートルもある植物食恐竜で、日本で初めて学名がつけられた竜脚亜目です。
肉食恐竜のフクイベナートル<フクイベナートル・パラドクサス>。全長が2.4メートルの小型の獣脚亜目で羽毛があり、雑食であったと考えられています。
そのあとに紹介するのが、フクイラプトル<フクイラプトル・キタダニエンシス>。
日本で初めて学名がつけられた肉食恐竜の獣脚亜目で、全長が4.2メートルと考えられています。
このような恐竜の他にも福井県産のワニや亀の化石なども紹介されていましたので、ぜひ福井県の恐竜ブースも博物館に行く機会があれば、ごらんください。
これで福井県立恐竜博物館を後にします。
まとめ
目的を持って博物館内の見学や、発掘体験をすることによって、恐竜を身直に感じることができました。
博物館内では等身大の標本などを見ることによって、恐竜が生きていた時代に、今自分自身がいるような感覚を味わうことができました。
発掘体験では実際に体験することがきました。どのような行程から化石を掘り出して、博物館に展示されているのかを学び、あらためて展示するまでにどれだけの時間と労力がはらわれているのかを実感しました。
大谷大学 文化環境ゼミ 2回生 2018年度前期
福井県立恐竜博物館に行ってみた
平成30年5月27日に福井県勝山市の福井県立恐竜博物館に訪れ、化石発掘体験をしてきました。今回の調査目的は野外発掘調査を通して恐竜を身近に感じることです。
今回は福井駅の近くからでている越前鉄道をつかい、福井県立恐竜博物館のもより駅である勝山駅までいきました。
福井県立恐竜博物館は、恐竜やそのほかの化石に関する資料などを展示した国内最大の博物館です。福井県で発掘され、福井の地名から名前がついたフクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン、コシサウルス、フクイベナートルなど福井特有の恐竜の化石などが展示されてます。
私たちは午前10時頃に現地に到着しました。
建物は展示を見やすくするために柱をなくしたのと山が近く雪がよく降り積もるので自然に雪が落ちるように卵形に設計されました。柱がないため、室内は広く感じられました。
私たちは午後に発掘体験を予定していたので先に昼食をとることにしました。
化石発掘オムライスの中からは…何か見つかるかもしれないですね。
もちろん福井県のご当地グルメ、ソースカツ丼やそばも食べられます。
お昼ご飯を食べ終え、発掘調査はバスに乗り博物館近くの手取層群北谷層にある発掘現場に行きました。
行きの道には恐竜の標識もありましたよ。
発掘調査の結果、植物の葉っぱの化石が見つかりました。
だいたい1㎝ないぐらいの大きさです。
手取層群北谷層は1億2000万年前の地層で、そこから5種類の恐竜の化石やその他水辺の化石なども見つかっています。その近くあった展示場には採掘された足跡の化石や発掘のために使われた道具など、本館では見られないものが展示されていたので、発掘体験を実際にしてもらうのも楽しいと思います。
発掘調査を終えて、博物館まで戻ってきました。
次は博物館を調査します。
いろいろな恐竜の標本が展示されていたので、福井の恐竜たち5体の標本を紹介します。
まず始めに紹介するのは、植物食恐竜のコシサウルス〈コシサウルス・カツヤマ〉です。鳥脚亜目のコシサウルスは、発見された化石は幼体で、あとで出てくるフクイサウルスとはことなるイグアノドン類として命名されたそうです。
次に紹介するのは、先ほど少し名前がでてきたフクイサウルス<フクイサウルス・テトリエンシス>です。フクイサウルスは鳥脚亜目で全長5メートルのイグアノドン類として、日本で初めて全身骨格が復元された植物食恐竜です。
フクイティタン<フクイティタン・ニッポネンシス>。
全長が10メートルもある植物食恐竜で、日本で初めて学名がつけられた竜脚亜目です。
肉食恐竜のフクイベナートル<フクイベナートル・パラドクサス>。全長が2.4メートルの小型の獣脚亜目で羽毛があり、雑食であったと考えられています。
そのあとに紹介するのが、フクイラプトル<フクイラプトル・キタダニエンシス>。
日本で初めて学名がつけられた肉食恐竜の獣脚亜目で、全長が4.2メートルと考えられています。
このような恐竜の他にも福井県産のワニや亀の化石なども紹介されていましたので、ぜひ福井県の恐竜ブースも博物館に行く機会があれば、ごらんください。
これで福井県立恐竜博物館を後にします。
まとめ
目的を持って博物館内の見学や、発掘体験をすることによって、恐竜を身直に感じることができました。
博物館内では等身大の標本などを見ることによって、恐竜が生きていた時代に、今自分自身がいるような感覚を味わうことができました。
発掘体験では実際に体験することがきました。どのような行程から化石を掘り出して、博物館に展示されているのかを学び、あらためて展示するまでにどれだけの時間と労力がはらわれているのかを実感しました。
大谷大学 文化環境ゼミ 3回生 2018年度前期
京都市の5つの石橋
私たち3回生は、京都市にある5つの石橋を5月29日と6月16日の2日間に分けて調べました。1日目は、堀川第一橋と堀川第二橋に行きました。2日目は、伏水街道第四橋と伏水街道第三橋と円通橋に行きました。
〇 堀川第一橋(中立売橋)堀川今出川バス停から徒歩10分
堀川第一橋は、堀川にかかる石橋です。元々は木で造られた橋でしたが、1873(明治6)年に石橋になりました。2012年に土木学会によって、選奨土木遺産に認定されました。そして、2017(平成29)年3月31日京都市指定有形文化財に登録されました。堀川第一橋は、近代橋梁史上価値が高い橋と言われています。
橋の長さは約14m、幅は約8.2m。使われている岩石は花崗岩でした。花崗岩には、石英、斜長石、カリ長石、黒雲母の鉱物と暗色包有物が含まれていました。
〇 堀川第二橋(下立売橋)堀川第一橋から徒歩10分
堀川第二橋は、堀川にかかる石橋です。現在の下立売橋の内部に石橋があります。橋の幅を広げるために、石橋の両サイドに桁橋が造られました。
橋の長さは約9m、幅は約7.5m。使われている岩石は花崗岩でした。
〇 伏水街道第四橋 竹田出橋バス停から徒歩20分
伏水街道第四橋は、七瀬川にかかる石橋です。橋自体はコンクリートでできており、コンクリートの橋の下に石のアーチ橋がありました。
橋の長さは約6.8m、幅は約6m。アーチの直径は3m。使われている岩石は花崗岩でした。しかし、前の二つの石橋とは違い、暗色包有物は確認できませんでした。そして石垣の一部には、石英斑岩が使われていました。
〇 伏水街道第三橋 鳥羽街道駅から徒歩10分
〇 円通橋 東山五条バス停から徒歩5分
円通橋は、皓月池にかかる石橋です。大谷本廟に参拝する際に必ず通ります。橋脚のふたつのアーチが皓月池に反射して、眼鏡のようにみえることから、「めがね橋」とも呼ばれています。
大谷大学 文化環境ゼミ 3回生 2017年度後期
太郎坊宮をたずねて
平成29年11月19日に滋賀県近江八幡市の太郎坊宮を訪れ、背後の山々にも登りました。
今回の調査目的は、太郎坊宮(阿賀神社)と天狗の歴史の調査、夫婦岩と赤神山、箕作山の地質調査でした。
太郎坊宮について簡単に紹介します。太郎坊宮は「勝運の神」という御祭神がいます。勝運を上げるためにここに訪れる方が多いです。さらに神事が盛んで、特にお火焚大祭は有名でたくさんの人が集まります。太郎坊宮は神社の他に、夫婦岩、赤神山、箕作山があります。山登りを目的とした人も来ます。太郎坊宮の見所はまだたくさんあります。
私たちは10時に太郎坊宮の入り口に着きました。
入り口には御神田があり、その名の通り、神様の田んぼらしいです。神様の田んぼなので立ち入り禁止でした。↓
赤神山参道の麓にある風化が見られる赤神山の石を使った灯籠
花崗岩がところどころに使われています。
灯籠が見えるこの位置が赤神山全体を綺麗に臨める場所なのではないかと思いました。
入り口から階段があり、少し上がっていくと小さなお寺がありました。
成願寺というお寺です。ここには誰もいなくて、鐘がありました。↓
さらに階段を上がって行くと、参集殿という場所に着きました。参集殿は赤神山の中腹にあり、湖東平野を見渡すことができます。神殿造りの粋を集めた全国でも有数の建物です。
参集殿に天狗の置物があり、「神威玉」を持っていました。正面のお殿に参拝して、それから玉を両手で触り、その手で心と病がある人は悪いところを撫でると体に良いと伝えられています。↓
参集殿で宮司の奥田さんから太郎坊宮の歴史ついて話を伺いました。
昔、太郎坊宮のあたりで土地の所有争いがあったり、大正13年の建築など歴史について聞くことができました。私たちの様々な質問に答えてくださった、優しい方でした。
馬の銅像。↓
この当時馬はもらい物として一番よいものとされていました。そのため銅像とされています。絵馬もこのような理由で現在も神社などにおかれています。
本殿に至る道中には「夫婦岩」という高さ数10m幅80cmにわたり
真っ二つに開かれた岩があり、本殿に参るにはこの間を通らなくてはなりません。
夫婦岩には言い伝えがあり、
「この間を通って参拝すると病苦が除かれ、願いは叶うが、
悪心のあるものが通ると岩に挟まれる」という
子供には「悪戯をしたりすると岩に挟まれる」と教え戒めの場となっています。
地質から見る太郎坊
太郎坊山(赤神山)の見た目は岩肌が露出しており、非常にゴツゴツしています。
夫婦岩の上部には
「節理」というマグマが冷え固まった際に出来る規則性のある割れが随所に見られます。
幅80cmにわたって開かれた夫婦岩の割れは
節理が大きく起因し、自信塔の地殻変動も関係していると考えられます。
夫婦岩は赤神山の中でも標高の高い部分にあるために、
赤神山自体が火山岩によって形成された山だと考えられます。
お火焚大祭
毎年12月の最初の日曜日に開催される恒例行事であり、
厄を払い清らかな新年の訪れを願う太郎坊宮の行事に参加しました。
ヒノキによって組まれたの護摩壇に火が付けられ、
あたりを身を清めるとされる煙が包み、修験者が祈りをあげ、参拝者は歓声を上げました。
約40人の修験者は約10万本の護摩木を炎の中に焚き入れ、無病息災などを祈願しました。
お火焚大祭には全国から参拝者が詰めかけるだけでなく、
修験者もまた装束に身を包み全国から集まります。
ともに撮影していた愛知県から訪れた方は「毎年来ており、熱気やスケールの大きさに圧倒される。来年も訪れるつもりだ」と話しました。
護摩木が全て燃やされると、火種が火渡り場の丸太の下入れられました。
参拝者の方々が実際に火渡り場を歩いておられるところです。
大谷大学 文化環境ゼミ 2回生 2017年度後期
京都のちょっとおもしろいとこ ~伝統工芸を訪ねて~
西本願寺
西本願寺は京都駅からほど近い場所にあり、15分ほど歩くと見えてきます。
親鸞聖人を宗祖としており、西本願寺敷地内にある御影堂内には、
親鸞聖人の像が安置されています。
下の写真は御影堂です。
南北62m東西48m高さ29mの大建造物で国宝に指定されています。
1633年の焼失から1636年に建立され、現代まで御影堂は今の地にあります。
そして、1998年から破損した部分の修復が10年にわたり行われました。
これを「平成の大修復」と呼びます。
↓ 御影堂の南側に行くと平成の瓦と江戸の瓦が混在している様子が見られます。
平成の大修復によって約11万5000枚もの瓦は屋根から降ろされ、
大部分は新しい瓦に置き換えられましたが、技術保護の観点から南側の一部には
江戸の瓦が残されています。
南側の屋根は他の方角の屋根と工法も異なっています。
江戸時代に作られた御影堂には土によって瓦を固定する「土葺き工法」が使われていましたが、土を使うため屋根の重量が重くなってしまいます。
平成の大修復では土を使わない「空葺き工法」が使われ、
屋根の重量を減らすことに成功しました。
↓ 大屋根を支えるのに数多くの軒支柱があります。(下の写真)
軒支柱の数は御影堂だけで33本あり、正面だけでなく南北も支えることにより
軒先が瓦の重みで垂れることを防ぎます。
さらに150本にも及ぶ梁や227本に及ぶ柱によって支えられます。
梁には模様が施されておりこのようなものを「虹梁」と呼びます。(下の写真)
御影堂の雨水を貯める水盆のしたには小さな「天邪鬼」がいます。(下の写真)
2つの天水受けを支えており、計8人います。
一体一体の表情や形が違っており、見てみるのも楽しいかもしれません。
御影堂が再建された1636年からずっと支え続けています。
下の写真は柱の束柱を受けるための「沓石」とよばれるものです。
木の隙間から覗くと石が見えます。
もともとはザクロの木で沓石が作られていましたが、江戸時代末期に
木では腐る可能性があるということで石が用いられました。
その時、昔の面影を残そうと厚さ3cmの木で覆ったと言われます。
御影堂は平成の技術と江戸時代の昔の技術でうまく調和が取れた
建物だといえるでしょう。
御影堂の内部にも出来るだけ昔の面影を残すために昔ながらの技法を使って
修復された部分が数多く見えます。
渉成苑
渉成園は真宗東本願寺の飛地境内地です。渉成園は、昔枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。国の名勝にも指定されており、四季を感じることができる庭園です。
↓ 門を入ってすぐのところに高石垣という石垣がありました。
花崗岩と砂岩とチャートと緑色岩からできていました。
↓ そして石臼が石垣に埋め込まれていました。
とても珍しい光景で面白かったです。
↓ これは臨池亭と滴翠軒いう建物です。
手前が臨池亭で奥が滴翠軒です。
この二つの建物は廊下でつながっており、池に臨んで建てられています。
池にはたくさんの鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。
下の写真は侵雪橋という端です。
木造の反橋で、渡ることができ感動しました。
橋の上から見渡す渉成園はとても広く、池に映る建物や空が輝いていてとても綺麗でした。
清水焼
京都の伝統工芸品、清水焼。普段あまりじっくりとみたり、歴史を深めることはないで
すがその世界をのぞき見てたくさんのことを知りました。2人の人間国宝がいること、
焼き方の技法、形…。今回何より”いいな”と思ったのは、清水焼は作品に特徴がなく作
者の手で自由に作られているものなので今も新しいものが生まれているということで
す。古きよきものから新しいもの、文化が受け継がれていくことは素敵なことだと思い
ました。
清水寺は坂ノ上田村麻呂によって平安京遷都以前に建てられた数少ない寺院です。さら
清水寺の門をくぐって進んでいくと大きい建物が見えます。それは三重塔です。三重塔
は日本にもいくつかありますがこの清水寺の三重塔は日本でも最大級の高さを誇る31
メートルで実際に見てみるとほんとに大きくびっくりしました。この三重塔は初層から
三層目まで各層の三隅には鬼瓦があったのですが南東の部分だけ龍になっていました。
下の写真の「龍」は火除けの神とされていることから防火の意味でつけられたそうです。
清水寺の清水の舞台は懸造りといった釘を一切使わない造りで建てられています。
これは山の急な斜面や段差のある土地に面積のある建物を建てる際に取る建築手法で
す。懸造りは他に上醍醐寺や東大寺の二月堂があります。この懸造りは木材を雨から
守るため2つ工夫をしています。
まず1つ目が小さな傘を取り付けているところです(下の写真)。
2つ目は舞台の床にほんのわずかにつけられた傾斜です(下の写真)。
これらの工夫を見ると、清水寺を少しでも建て直さないように職人がさまざまな工夫をしているんだなと感じました。
まとめ
京都で普通に観光しても気付かないことや初めて知るようなことがたくさんありました。京都には意外と実用的なものが多く、渉成園も客を招くという意味に関しては実用的なものでした。こうみてみると京都の伝統工芸というのは実用的なものが多いと感じました。今回調べていないところも実用的なものがあると思うので調べたいと思いました。