大谷大学 文化環境ゼミ 2回生 2018年度後期 

 姫路城の石垣調査

 

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平成30年11月28日に姫路城を訪れ、石垣の調査を行いました。

今回の調査目的は国宝である姫路城の石垣を調べることで、どのような種類の石垣が使われているのかや、積み方、その石材がどこから来たのかを調べることです。

今回は京都駅から乗り換え無しで姫路城のある姫路まで行きました。

 

姫路城の歴史は、1333年〈元弘3年〉赤松則村が姫山に基礎となる砦を築き、1346年〈正平元年〉赤松貞範が本格的に城を築きました。その後山名持豊赤松政則黒田重隆へと城主が変わっていきました。そして大河ドラマで有名になった黒田官兵衛は1546年〈天分15年〉に姫路城で生まれました。その後豊臣秀吉の毛利勢討伐に向けての拠点になり、大坂城が築城されると弟の羽柴秀長が姫路城主になりました。その後木下家定、1600年〈慶長5年〉関ヶ原の戦の後には池田輝政が城主となりました。1618年〈元和4年〉には本田忠正が西の丸を築き、今の姫路城の形が完成しました。それからは改修工事が、明治、昭和、平成と続き、平成の改修工事が終わった2015年に、今の白い姫路城へとなりました。

 

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私たちは姫路駅に11時半ごろにつき、先に商店街で昼食をとる事にしました。

 

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駅から数百メートルほど歩くと姫路城が見えてきます。

 

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大手門から中に入るとまずは切り込みはぎを見にいきました。この積み方では、加工された石材が用いられています。

 

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その後菱の門東方にある野づら積みでできた石垣を見に行きました。 この写真に見られるように大小様々な石が積み上げられているのが特徴になっており、瓦まで混じっていました。

 

そして受付を抜け、いの門、はの門へと行き、星型のマークが化粧櫓のあたりにあるという事前情報から見に行きますが、残念ながら見つかりませんでした。

 

 

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次に姥ヶ石を見に行きました。建設時、石材が十分に集まらない時に、一人の老婆が石臼を持ってきたことで有名な石です。網の中にある白い石が姥ヶ石です。

 

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そして天守閣を登り、本丸に降りて、天守閣に使われる打ち込みはぎを見に行きました。ある程度同じような大きさの石が積まれていることが特徴的です。

 

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備前門にある石棺を見に行きました。中央にある四角に加工されている石です。

 

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上の写真が掘り出された石棺です。

 

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その道中では四角のマークがある石がありました。昔の城の築城に携わった人が、携わったことを示すために石にマークを彫ったそうです。

 

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次は二の丸にあるお菊井戸へと行きました。

 

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最後に明治、昭和、平成のしゃちほこを見るなどをした後はお土産屋で、休憩しました。

 

その後JR姫路駅に戻り、解散という流れになりました。

石材の種類は凝灰岩が多く使われていて、積み方としては 大手門から中に入ると左側に切り込みはぎ、菱の門東方の石垣に野づら積みがあり、そして天守閣に使われる打ち込みはぎがありました。

石材の産地は、西は夢前川付近から、東は市川付近など姫山から数kmの範囲内から供給されていることがわかりました。

 

まとめ

 今回姫路城を調査して、石垣には様々な積み方があることを知ることができ、それらが時代ごとに最適化され、見た目にこだわっているなど、お城が時代ごとに変わっていく姿を学ぶいい機会になりました。