大谷大学 文化環境ゼミ 3回生 2018年度後期

 

 

 

京都市の石橋 

 私たち3回生は10月23日と27日の2日間に分けて、前期の続きで京都の石橋を調査しました。1日目は、万世橋と加茂大橋に行きました。2日目は、巽橋と古川町橋、三条大橋、蹴上インクライン橋梁、南禅寺水路閣に行ってきました。

 

万世橋 北白川校前バス停から徒歩5分

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 万世橋は白川にかかる石橋です。北白川天神宮の入り口にあります。橋の長さ7m、幅員3m。橋に使われていた岩石は花崗岩で、カリ長石や斜長石、黒雲母が含まれていました。

 

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 そして階段の端には、幅3~4cmの石英脈と大きな暗色包有物も見られました。

 

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 万世橋は今まで見てきたアーチ橋とは違い、アーチ部分が楕円形になっていました。

 

加茂大橋 出町柳駅前バス停から徒歩2分

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 加茂大橋は鴨川にかかる鋼桁橋です。加茂大橋は、交通量も多く大きな橋で長さや幅員を測ることはできませんでした。調べたところによると、橋の長さ141.4m、幅員22m。(参考:京都風光 加茂大橋)

 

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 加茂大橋は、欄干部分が古い花崗岩と修復のための新しい花崗岩が使われていました。古い花崗岩は暗色包有物がまったく見られませんでした。そして目が粗く、触るとつるつるしていました。一方で、新しい花崗岩は暗色包有物が含まれており、触るとザラザラと削れるようでした。この事から、古い花崗岩と新しい花崗岩は、産地が違う可能性が出てきました。

 

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 基礎はコンクリートと鋼でできており、鋼は半アーチになっていました。欄干部分のみ、石で造られていました。

 

大和橋 地下鉄四条駅から徒歩28分f:id:suzuki_seminar:20181120133104p:plain

 大和橋は白川にかかる石橋です。今回調査している中で見つけた橋です。なので大和橋も調査しました。橋の長さ6.5m、幅員7m。

 

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 この橋は、明治45年にかけ替えられました。橋の花崗岩は、江戸時代に造られたと思われる部分と明治時代に造られたと思われる部分がありました。石柱と石桁、そして上流側の欄干は江戸時代と思われるものでした。江戸時代に造られたと思われる部分は、極粗粒花崗岩でした。下流側欄干と上流側欄干柱は明治時代に造られたと思われるもので、江戸時代の方より少し目の細かい粗粒花崗岩でした。石畳は平成15年3月に修復されており、中粒花崗岩でした。

 

巽橋 地下鉄四条駅から徒歩30分

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 巽橋は、白川にかかる石橋です。橋の長さ7.2m、幅員2.7m。巽橋は、欄干が木でできています。ちなみに、巽橋は京都ならではの木の古民家が立ち並ぶ中に橋があり、京都の風情が楽しめます。私たちが調査をおこなった日も、多くの観光客が見られました。その為、欄干に座って写真を撮る観光客が多く、欄干の木の部分が痛んでしまい問題になっています。

 

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 巽橋は、コンクリートの上に石畳が敷き詰められるようになっています。石畳が白色と赤褐色を帯びる粗粒花崗岩と淡青色の中粒花崗岩でできていました。中粒花崗岩には、暗色包有物が見られました。石畳の粗粒花崗岩と中粒花崗岩が、モザイク状デザインのように3つ以上続けて並ばないように敷き詰められていました。

 

古川町橋 大和橋から徒歩10分

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 古川町橋は、白川にかかる石橋です。別名、行者橋や一本橋とも呼ばれています。橋の長さ11m、幅員66cm。この橋はいつ架けられた橋か明らかになっていません。しかし、江戸時代の粟田祭で使われていたと言われています。なので、江戸時代には存在していた事になります。

 

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 橋は一部コンクリートで補修されていましたが、基本的には極粗粒花崗岩でできていました。暗色包有物がまったく見られませんでした。

 

三条大橋 古川町橋から徒歩14分f:id:suzuki_seminar:20181120133747p:plain

 三条大橋は、鴨川にかかる鋼単純H型橋です。加茂大橋と同様に橋が大きく、交通量も多いため実際に橋の長さや、幅員を測ることはできませんでした。しかし橋の近くに看板があり、そこに橋の長さと幅員が書かれていました。橋の長さ74m、幅員15.5m。

 

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 三条大橋が架けられた年代については明らかになっていません。室町時代前期には、すでに簡素な構造をもつ橋として鴨川に架けられていたと推測されています。本格的な橋となったのは1590(天正18)年。欄干部分は木でできていました。橋を支える柱は、南側は一部コンクリートの柱の基礎の上に直径約60cmの石の柱があり、北側の柱はすべてコンクリートの柱で支えられていました。

 

 〇 蹴上インクライン橋梁 蹴上バス停から徒歩5分f:id:suzuki_seminar:20181120134356p:plain

 橋の長さ9.1m、幅員18.4m。正式名所は蹴上隧道。愛称は、ねじりまんぽと呼ばれています。

 

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 このねじりまんぽに使われている花崗岩は典型的な花崗岩ではなく、カリ長石が大きい斑状組織でした。そしてそろばん玉の形をした高温型石英が見られました。

 

南禅寺水路閣 蹴上インクライン橋梁から徒歩15分

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 南禅寺水路閣は、琵琶湖の湖水を京都の街へと運ぶための水路橋として作られ、京都の産業発展に大きな役割を果たしました。

 

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 レンガの柱の下に、花崗岩の土台がありました。土台の花崗岩には、粗粒花崗岩が使われており、大きな暗色包有物も見られました。

 

 今回私たち3回生は、前期と合わせて13個の石橋を訪れて調査をしました。前期に石橋を調べた結果、すべての石橋の素材が花崗岩であることがわかりました。そのことを踏まえて後期には、どこの花崗岩かということに焦点をあてて調べました。

 石材調査として、狸谷山不動院近くの瓜生山へ行きました。瓜生山には花崗岩の砕けた真砂がところどころに見られました。山頂に近づくにつれて真砂化が進んでいました。瓜生山は花崗岩地帯で上質な湧き水が多く出ています。

 

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 清沢口の石切り場は、風化がとても激しく、少し握ると砕けてしまうほどでした。

 

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 暗色放有物を含まない極粗粒花崗岩が見られました。これは、三条大橋の石柱部分と古川町橋などに使用されている花崗岩の特徴と類似していました。よって、瓜生山の花崗岩が使用されている可能性が高いと結論付けました。

 

 私たちの大学がある京都には、複数の文化的庭園があり、たくさんの石材が使用されています。そこから身近にある石についてというテーマで考えた結果、石橋に決めました。石橋が多く存在する九州地方は、石材に凝灰岩を使用しているのに対して、京都にある13箇所の石橋では、ほぼ花崗岩が使用されていました。石材は花崗岩でしたが、特徴は全部同じではなく、粒度が違ったり、色調が違ったりすることが分かりました 。それまでは石はすべて同じものに見えていましたが、1年間の調査をしたことによって花崗岩の特徴を知ることができました。